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中世寺院建築の傑作!国宝の美しい本堂『長弓寺』(生駒市)

今年のGW(ゴールデンウィーク)は生駒市を観光したのですが、その中で以前から行ってみたいと思っていた長弓寺(ちょうきゅうじ)にも立ち寄りましたので記事にまとめてみたいと思います。

『長弓寺』といえば屋根の反りが特徴的な国宝の本堂が有名ですが、他にも境内には見所がたくさんありました。
あじさいの寺としても有名で、事前に予約をすれば精進料理もいただけるとのこと。

訪れた時期はGWという観光シーズンではありますが、参拝客はそれほど多くなく趣ある境内でゆったりとした時間を楽しむことができました。

目次

歴史・伝説

wikipediaには “長弓寺の創建についてはいくつかの説があり、定説を見ない”と書かれていましたが、当記事では『長弓寺』のHPや奈良検定のテキストなどを参考にして、『長弓寺』の歴史や伝説についてまとめたいと思います。

歴史

天平年間(729〜49)聖武天皇の勅願により行基が白檀の十一面観音を作り、牛頭(ごず)天王、八王子の宮を建て天皇の弓で本尊頂上の仏面を彫刻して創建されたと伝えられている。
桓武天皇の代藤原良継(よしつぐ)が伽藍を中興し、丈六(じょうろく)阿弥陀仏、釈迦、地蔵、四天王像を安置して崇敬された。
堀川天皇が大涅槃経600万巻を施入するなど信仰を集めたが、平安末の火災に遭ったと「東大寺資財帳」にある。
本堂が再建された中世には寺運も栄えたが、文明5年(1473)、応仁の乱で敗れた山名宗全の落人によって寺宝などを破壊され、織田信長による寺領没収など歴史の荒波に幾度となく洗われた。
さらに、明治の廃仏毀釈で衰退したが、昭和10年(1935)、本堂の解体修理を経て現在の姿に至っている。

また創建については以下のような伝承もあります。

小野真弓長弓(父)と長麿(子)の物語

奈良時代、土地の豪族・小野真弓長弓(おののまゆみたけゆみ)とその養子であった長麿(ながまろ)が、若年の聖武天皇に従ってこのあたりで狩猟をした時のこと、森より一羽の怪鳥が飛び立ったのを見て、親子でこれを追っていました。この時、養子である長麿(ながまろ)が誤って父・長弓(たけゆみ)を射殺してしまいました。聖武天皇はこのことを深く哀しみ、行基に命じてこの地に小さな御堂を建て十一面観音をおまつりになって長弓(たけゆみ)菩提を弔いました。また、自らも仏教に帰依され、この寺を深く信仰なさいました。時に神亀5年(728年)、聖武天皇が28歳の頃だと伝えられています。本尊十一面観音の頂上の仏面は、聖武天皇の弓の柄で彫られているという逸話が残っています。

引用元:長弓寺(ちょうきゅうじ)にある宝物について|長弓寺薬師院オフィシャルホームページ

聖武天皇の狩猟に従った際、謝って父の小野真弓長弓(長弓)を射殺してしまった息子の長麿(長麻呂)
この出来事を悲しんだ聖武天皇が行基に命じて寺を建立し、長弓の菩提を弔ったとのことです。

お寺の近くには、長弓の墓と伝えられる真弓塚があります。
また、この真弓塚は聖武天皇が狩猟をするときに作らせた弓(真弓)で、本尊の頭部の仏面を作り、残りを埋めた塚とも言われているそうです。

境内・周辺の様子

見づらいかと思いますが大体の建物の位置関係が分かるように、まずは本堂の横にあった境内案内図の写真を載せておきます。(少しでも見やすくなるように写真を加工しています)

境内案内図

境内には国宝である「本堂」のほか、4つの塔頭寺院「法華院」「円生院」「薬師院」「宝光院(現在は無住)」と、「伊奘諾神社」があります。
他にも公園や池、お堂などもありますので順々にご紹介していきます。

鳥居

車で県道7号線を走っていると真弓橋東詰交差点の東側に「真弓山 長弓寺」と書かれた石碑と鳥居が見えます。
この鳥居の奥が『長弓寺』の境内となっています。

鳥居はかつて『長弓寺』の鎮守社であった「伊奘諾神社(牛頭天王宮)」のもので、神仏習合の名残りとなっています。中世の頃、『長弓寺』の住職は神職も兼ねていたのだとか。

大門

鳥居をくぐってしばらく進むと「大門(山門)」が見えてきます。
お寺の規模からするとやや小ぶりな山門ですが、これは寺が衰えた江戸時代末期の建築だからなのだそうです。

宝光院地蔵堂

山門をくぐると、すぐ左手に「宝光院地蔵堂」がありました。

近づいて中を覗き込んでみると、網戸の奥にうっすらとお地蔵様のお姿を確認することができました!

真弓小公園・蓮池

境内には塔頭のほか、公園や池などもあります。

新緑が美しく、お花も綺麗ですので、散策しているだけでも清々しい気分でリフレッシュできました。

法華院

「真弓小公園」横の坂を登る途中に法華院があります。

こちらには本尊として「愛染明王」が祀られています。
愛染明王についてHPには以下のように書かれていました。

愛染明王の姿は全身赤色で、顔に三つの目を持ち、六つの腕があります。
それぞれ五鈷鈴と五股杵、慈悲の弓と智慧の矢、心月輪、蓮華を持ち、輪廻を彷徨う衆生を救うとされています。五鈷鉤が突き出た獅子の冠を載せ、宝瓶に乗る蓮華に座っておられます。

引用元:長弓寺 法華院について

庭園には不動明王、水掛供養の地蔵菩薩、稲荷神が祀られており、散策も自由となっています。

円生院

つづいて、「法華院」の東側にある円生院です。

『長弓寺』の歴史については先ほど書いた通りですが、寺が創始された後のことについて、HPには以下のように書かれていました。

長麻呂は父の菩提を弔うため陛下の御命に従い出家し、法名発心房と号しました。
彼の妻であり長弓の実娘、白菊姫と呼ばれていた大神円生姫も同じく髪を切り仏門に帰依し円生法尼と号しました。

引用元:円生院について – 奈良県生駒市のお寺 長弓寺 円生院

「円生院」という名前の由来はこの話からきているようですね。
また説明を読んでの発見でしたが、長麻呂(長弓の養子[息子])は、長弓の実娘である大神円生姫(白菊姫)と兄妹で夫婦になっていたんですね!

お地蔵さんや庭園を見学した後、「円生院」の本尊である不動明王が祀られているという「護摩堂」へと移動しました。

護摩堂

「円生院」の本尊が祀られている「護摩堂」です。

本尊の不動明王についてHPには以下のように書かれていました。

護摩堂に鎮座されているのが円生院のご本尊、不動明王です。
「おふどうさん」と呼ばれ、古来より多くの信仰を集める不動明王は、仏様の中心に位置づけられる大日如来が姿を変えた仏様です。
恐ろしい憤怒の姿であるのは、あらゆる悪を粉砕し人々を力強く導き救済する大いなる慈悲のあらわれなのです。
右手に剣を握るのは、われわれ自身の煩悩と外から押し寄せる障りを断ち切ろうとする姿をあらわしています。
羂索という縄を持つのは仏道に引き入れて導くためです。

引用元:円生院について – 奈良県生駒市のお寺 長弓寺 円生院

お堂の奥に祀られるお不動様。燃え上がる炎と憤怒のお姿にはやはり迫力があります。

薬師院

先ほどご紹介した「法華院」「円生院」とともに、こちらの薬師院は長弓寺にある4つの塔頭寺院の一つで、阿弥陀如来がお祀りされています。

精進料理の提供や、仕事やプライベートなど日々の悩みを癒す「こころの相談室」、地域共生の場としてコンサートなどを行う「薬師院サロン」など様々な催しが行われているようですので、気になる方はHPをチェックしてみてください。

伊奘諾神社

『長弓寺』本堂のすぐ下手にあるのが、かつて鎮守社であった「伊奘諾神社」です。

旧上村の氏神で、祭神は伊奘諾命、素戔嗚命、大己貴命です。平安時代の『延喜式』神名帳に「伊射奈岐神社」として掲載され、『長弓寺縁起』では鎮守として牛頭天王ごずてんのうを祭ったと伝えられています。江戸時代には牛頭天王社と呼ばれていましたが、明治以降伊弉諾神社と改称されました。

引用元:伊弉諾神社 | 生駒市デジタルミュージアム

祭神は伊奘諾命、素戔嗚命、大己貴命の3柱です。
江戸時代には「牛頭天王社」と呼ばれていたようですね。

階段を登ると本殿があるのですが、階段の上に屋根があるタイプで珍しいですね。

本殿脇の狛犬?はツノがついているので、ちょっと古いものなのかな?(←狛犬詳しくないので、めっちゃ適当に書いております…)

神社特有の清々しい空気を感じます。

本堂周辺(まゆみの鐘・大師堂ほか)

続いては本堂周辺の様子をご紹介します。
(本堂に関してはこのあと詳しく見ていきます!)

まずは「まゆみの鐘」です。
誰でも志納(志に見合った額)でつくことができる鐘で、作者は、人間国宝である鋳金工芸作家の香取正彦氏とのこと。

本堂の西側には「大師堂」があります。
こちらには大和十三佛霊場「第九番札所」として、一周忌の守り仏・午年生まれの仏「勢至菩薩」が祀られています。

勢至菩薩(せいしぼさつ)

阿弥陀さまの右におられる勢至さまは智慧の菩薩さま。お姿は聖観音(しょうかんのん)さまにそっくりですが、頭の宝冠に水瓶がついています。そこから智慧の力をふりそそぐのです。

【功徳】
来世 … 阿弥陀の脇侍として、亡者を先導する。
現世 … 仏の智慧を授ける。

引用元:寺院紹介|大和十三佛霊場会|奈良県のお寺

「大師堂」の隣には賓頭盧尊者さんもおられました。

本堂の東側には「事務所」「無料休憩所」「宝蔵」がありました。

それでは、いよいよ国宝の本堂を見ていきたいと思います!
…が、最後に境内の写真をあれこれと載せておきます!

その他の写真

本堂(国宝)

まずは階段の下から本堂を眺めてみます。
鳥の翼のように反り上がった特徴的な屋根がチラリと見えていて…なんだかワクワクする構図です!

早く全貌が見たくて、急いで階段を駆け上がりました。

近づくとより迫力が増しますね〜!
迫力がありすぎて?私が持っているカメラ(コンデジ)だと、手前にある石灯籠より後ろから撮影しないと本堂が画角に収まりきりませんでした。
ですので急遽iPhoneのカメラに持ち替えて広角レンズで撮影してみました。

うん!なかなかいい感じ♪

長弓寺の本堂については以下のように案内板に書かれていました。

国宝 長弓寺本堂

真弓山。奈良時代の僧行基の開基と伝えられ、現在は薬師院、宝光院、円生院、法華院の塔頭から成る。本堂は桁行5間、梁間6間、入母屋造檜皮葺。弘安2年(1279)銘。所蔵品:本尊木造十一面観音立像(重文・平安?)、黒漆厨子(重文・鎌倉)など。

桁行5間、梁間6間と奥行きが深く、優美な屋根の曲線と力強い構え、深い軒と軒下の簡素な意匠が印象的な建物です。

伝統的な和様を基本とする姿は一見霊山寺本堂にも似ているとのことですが、細部には天竺様(大仏様)、唐様の影響を受けているところが異なるそうです。

中世寺院建築の傑作といわれ、建立年代が明らかな点でも貴重な建築物だということです。

屋根の反りはどの角度から見ても美しいです!

寺宝・文化財

黒漆厨子(重文)

本堂の内陣に安置されている「黒漆厨子(くろうるしずし)」には扉板の左方に胎蔵界種子蔓茶羅、不動明王、二童子像、右方に金剛界種子蔓茶羅および降三世明王像の極彩の絵が描かれています。

十一面観音立像(重文)

「黒漆厨子(くろうるしずし)」の中には高さ120cm、一木造の本尊「十一面観音立像」が祀られています。典雅な像で平安時代の作とされているが、貞観様式を含んだ藤原仏の説もあるとのことです。

「長弓寺」の情報

所在地:奈良県生駒市上町4445(アクセス情報

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