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興福寺に山号がないのは何故?『額塚(茶臼山)』(奈良市)

興福寺の境内に額塚茶臼山)』と呼ばれる小さな土盛があるのをご存知でしょうか?
あまりメジャーではないスポットですが、『額塚』にはとても興味深い歴史物語がありますので、ぜひ一度足を止めてこの場に思いを馳せていただけたらと思います。

目次

額塚はどこにある?

興福寺南円堂のすぐ近く(「不動堂」の裏側)にある2メートルほどの高さの小山(茶臼山)が『額塚』です。

右奥に少しだけ見えているのは興福寺の五重塔です

知らなければ通り過ぎてしまいそうな場所にありますのでご注意を!

逆光で見辛いですが石碑に「額塚」と書かれています

実際私は何度も興福寺に通っていたにも関わらず…、奈良検定の問題で『額塚』が出題されるまで存在自体を知りませんでした。
存在を知ってからも、しばらくはどこにあるのか見つけることができず、つい最近正確な場所を把握したばかりです。

額塚の由来

奈良には山号(寺名の上につけられる<山>の称号)がないお寺がいくつかありますが、興福寺もその1つです。

そんな興福寺ですが、奈良時代には「月輪山(がちりんざん)」という山号があり、南大門(今は南大門跡)に「月輪山」と書かれた山号額を掲げていたそうです。

「月輪山」の山号額が掲げられていたという南大門跡から中金堂を眺める

しかし、その山号が原因で災いが起こったため、額を取り外して埋めたのが『額塚(茶臼山)』なのだというのです!
以来、興福寺では山号を用いることがなくなったとのこと。

現在は無くなってしまいましたが、かつて『額塚』のすぐ近くにあった案内板には以下のように書かれていたようです。

額塚の由来

天平宝宇のはじめ、南大門に、「月輪山(がちりんざん)」と言う山号額を掲げたところ、いかなる故か、その附近にしばしば魔障起こりて、風無きに樹木倒伏し、水突然に噴出して大穴を開け、石垣崩壊すること続出、山内大いに困惑せり。
当寺のある僧の霊夢に「月の字は水に縁あるが為なり」とあり、困ってこの額を取下げたるに、不思議にもその後は事無きを得たり。
この塚はその額を埋めし所なり。
爾来本寺に於いては山号を用いず。
因みに其の塚を一名茶臼山と呼ぶ。

引用元:かつてあった案内板より

「月輪山」のの字には水の縁があることが災難の原因とのことで…
風がないのに樹木が倒れたり、水が突然吹き出して大穴が開いたり、石垣が崩壊したりと散々だったようですね。

ちなみに…

山号にについてネットで調べていると、奈良時代にはそもそも山号がなかったという記述もありました。

寺名の上につけられる<山>の称号。中国で、寺の所在を示すため用いたのにはじまる。わが国では、奈良時代には、寺は主に平地に造られたので山号はなく、平安時代、山の上に造られた寺は比叡山・高野山などの山の名を用いたが、いわゆる山号ではなかった。中国で禅宗の代表的な寺院に五山・十刹の制が定められ、鎌倉時代、禅宗とともにわが国に伝えられると、巨福山建長寺など寺名の上に山号がつけられるようになり、その後、他の宗の寺院も、寺名の上に山号を付けるようになった。

引用元:『岩波仏教辞典 第2版』p381-382「山号 さんごう」の項

たしかに、飛鳥寺・法隆寺・南都七大寺などなど…、奈良時代以前に建てられたお寺には当時は山号というものがなかったようです。
※現在、飛鳥寺(安居院)には鳥形山、西大寺には勝宝山という山号がありますが、これは後世に付加されたものだということです。

そうなると、“奈良時代には興福寺にも山号があった”というお話でしたが、実際には後世に考えられた物語だという可能性もあるのかも??しれませんね。



五重塔や南円堂、中金堂、国宝館の阿修羅像などなど…
興福寺に限らず、奈良旅の際には観光のガイド本に載っているようなメジャーどころ(←表現が適切でないかも知れません)が注目されがちですが、あまり目立たないような史跡にも様々な物語がありますので、私自身勉強しながら今後もそういった話題を取り上げていけたらと思っております。

「額塚」の情報

所在地:奈良市登大寺町48

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