「上北山村にゴキブリの神様の像があるらしい…」
そんな話を聞いてから早数年。
ようやくその姿を自分の目で見ることができたので、レポしておきたいと思います!(ちなみにゴキブリは大の苦手です;)
上北山村「林泉寺」の境内に…
場所は、上北山村の「林泉寺」というお寺の境内にあります。
途中道を間違えたりもしたのですが、赤い橋を目印にすると分かりやすいかもしれません。
国道169号線を走っていると「護鬼佛理天彫刻→」と書かれた看板が見えます。看板の案内通りに赤い橋を渡ると、対岸に目的の「林泉寺」が見えてきます。
駐車場に車を停めて、ゆるい坂道を少し登ると…
坂の途中で下から見上げると、お寺の塀から何やら触覚らしきものがハミ出しているのが見えました…。
(怖いもの見たさに近い)ドキドキ感が増してくるのを感じながら、お寺の入り口へと続く階段を更に登って行きます。
階段を登りきったところで、視界の右端にゴキブリの神様の気配を確実に感じつつ…、メイン(ゴキブリの神様)はなるべく見ないようにしながら、まずは周囲の様子をウォッチングしてみました。
ちなみに、境内に人の姿や受付は見えず、入るのに拝観料などは必要ありませんでした。
境内・周辺の様子(ゴキブリの神様以外)
本堂
階段を登って正面に見えるのが本堂でしょうか?
柱部分に「曹洞宗奈良県第七十三番林泉禅寺」「本曽(本尊?)南無十一面観音菩薩霊場」と書かれていました。
宗派は曹洞宗で、十一面観音菩薩を本尊とするお寺のようです。
手前にある洋風の机と椅子がなんだか不思議な雰囲気を醸し出しています。
由来・歴史
引用元:林泉寺紹介 | 海運山 満福寺 亀の甲寺 福原西国観音霊場五番礼所
奥吉野白川郷は地名の如く古来、京都の内裏と関係があり、公家の林家からの紹介によって、天文11年(1542年)開基上西家(現在の香芝市)よりお堂を建立して、白雲山林泉寺と号しました。 寛永18年(1641年)、豊川稲荷十四世覚月応是的大和尚を開山に迎え、三田市心月院の末寺となり曹洞宗となる。 明治維新の先駆け、天誅組が十津川より逃れ来て立てこもり(1861年)、火事により焼失。 その後二度再建し、昭和42年(1967年)池原ダムによる水没に伴い移転し、新築建立され現在に至っている。 九集落、529世帯が水没した。 筏を組んで下流(現在の新宮市)に流す、林業中心の経済基盤が無くなり、檀信徒は都市部に移転した。 ご本尊様は、十一面観音菩薩。 檀信徒34軒、内白川区12軒の限界寺院に迫っている。 満福時にとっては、副住職に必要なお寺であります。 都市部のお寺と地方のお寺と、お互いに助け合う良い関係を築いて参ります。
住居
本堂に向かって左側には住居がありました。ご住職がお住まいなのでしょうか?
背後には切り立った山が迫っています。
豊川陀枳尼眞天
本堂に向かって右側には神社がありました。
のぼりが隠れている写真しか撮れていなかったので自信がないのですが、(google検索を駆使した結果)おそらく「豊川陀枳尼眞天(とよかわだきにしんてん)」という神様をお祀りしているのではないか?という結論に達しました。
陀枳尼天(茶枳尼天・ダキニテン)、元は生きた人間を殺害してその肝を食す女の鬼神であったが御仏の怒りに触れてその通力を封じられた。しかしこの鬼類は人の肝でしか命を繋げないため御仏は、むやみな殺生をしないようにと「半年先に命終する人間を予知する」通力を授けた。そして命終の後に肝を取るようにと諭したといわれる。
引用元:豊川陀枳尼眞天
以来、陀枳尼天のこの予知の通力を得るために、多くの修験者や密教系僧侶達が信仰の対象とした。しかし元が元であるために、神なのか魔なのかが判然としない。
鐘楼
神社の横には鐘楼がありました。奥にはお地蔵様(六地蔵?)の姿も見えますね。
ゴキブリの神様『護鬼佛理天』像
前置きがやや長くなりましたが、ようやくゴキブリの神様である『護鬼佛理天(ごきぶりてん)』の像とご対面です!
ドドーーーン!!!
「出たーーー!!」と見た瞬間、思わず声も出ました!!
この奇怪で禍々しい形状(←神様に失礼)には、誰の目をも釘付けにする程のインパクトがありますね!!
これは細部までしっかりと観察する必要がありそうですが…
その前に、どうしてこのような像が作られたのか?について石碑の文章を読んで理解を深めておきたいと思います。
碑文1
「護鬼佛理天」像に寄せて
都市の衛生的な環境を維持するに
共生の適わぬ生き物たちの鎮魂のため
ここに其の霊を合祀して
永遠の安らぎを祈願するものである
平成十三年十月
株式会社その興産
代表取締役 社長 南園良三郎
碑文2
護鬼佛理天制作意図
ゴキブリは地球上に現れてから3億年たつが
新参者の人類がつくりだした都市を舞台に
ともに繁栄し 愛憎劇を繰り広げてきた
ゴキブリの側の片思いの感は否めない
ここにゴキブリの腹上に寄生する都市という
逆転の構図を彫刻することで
我々の薄情さをうめあわせたいと思う
2000.11.20 天野裕夫
どうやら、害虫駆除業務も行なっている「株式会社その興産」さんがゴキブリを供養するために、彫刻家(女子美術大学講師)である天野裕夫さんに制作を依頼して、建立した像のようですね!
都市に寄生するゴキブリではなく、ゴキブリの腹上に寄生する都市(逆転の構図)を彫刻で表現することによって、我々の薄情さをうめあわせたいという思いを込めて制作されたようです。
むむむ…!
芸術とういうものはやはり難しい。
株式会社その興産さんのHPにも、これまで駆除してきたゴキブリを供養するため、上北山村白川の「林泉寺」に供養塔(護鬼佛理天)を建立したと書かれています。
『護鬼佛理天』は「鎮魂の碑」「いのちの碑」であり、ゴキブリ根絶を願う「決意の碑」でもあるとのことです。
『護鬼佛理天像』をじっくり鑑賞
制作意図も理解できましたので、いよいよ『護鬼佛理天像』をじっくり鑑賞していきたいと思います!
まずは真正面から全体像を眺めてみます。
ゴキブリの如くやや鈍く黒光りした像は、どっぷりとした重量感があります。都市を彫刻したというメカニックな造形の胴体からは人間の腕のようなものが左右合わせて4本、足のようなものが左右合わせて2本、計6本生えています。
顔
ハエのような複眼の目があり、頭からは鋭い触覚が2本空に向かって突き出しています。
ちなみに、実際のゴキブリも複眼なのか?が気になり調べてみたところ、wikipedeiaに “ 複眼の機能はあまり良くないが、長い触角と尾部の尾毛(びもう)がよく発達し、暗い環境下でも周囲の食物や天敵の存在を敏感に察知する。” と記載がありました。
ゴキブリって複眼だったんですね。(苦手なのにゴキブリの画像見ちゃった…;)
腕と足
胴体から生えている腕と足(この表現が正しいのかは分かりません)はムキムキマッチョで、握られた拳にはぐぐっと力がこもっています。
デザインされた線が浮き出た血管や筋のようで、逞しさを感じます!
足首からスネにかけては渦巻き状の不思議な文様が刻まれ、足の指先には爪もリアルに表現されていました。
胴体
メカニック?それともスチームパンクとでも言いましょうか?
都市を表現しているというゴツゴツとした胴体をよく観察すると、階段や扉や配管のようなものが見えます。
「ラスボスの城」感も漂わせていますね…。
神様の像ということで、お布施なのでしょうか?所々に50円や10円玉などの硬貨が置かれています。
胴体の一下の部分には「GOKIBURI」と文字が彫られています。
更に良く見ると、カエルのような生物の姿も!(なぜ蛙なのでしょう?)
私は2匹見つけましたが、もしかしたら他にもいるかもしれません…
その他のアングル
真横から見ても、かなり迫力がありますね!
後ろ姿の撮影は、台座の上に立ち入らなければできなかったので諦めました。
おそらく本物のゴキブリのようにツルんとしていると思われます!
最後に
「ツチノコ共和国」の「王宮」へお邪魔させていただいた際、議長の野崎和生さんに『護鬼佛理天像』の背後に「岩屋谷滝」が見えるということを教えていただきました!
おそらくこの滝かな?と思って写真を撮ってみましたが、ピントが手前に木に合ってしまい上手く撮れませんでした;
実物だともっと綺麗に見えたのですが…!(ぜひ現地でご確認を!!)
上北山村には、『護鬼佛理天像』の他にも「ツチノコ共和国」や「ゐざさ寿司本店」などなど魅力的なスポットが沢山ありますので、ぜひ皆様にも訪れていただきたいです!
「護鬼佛理天像(林泉寺)」の情報
所在地:奈良県吉野郡上北山村白川214-44
本尊 :十一面観音菩薩
電話番号:07468-2-0149
駐車場 :あり
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