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大海人皇子をかくまった『ジジ川原・ババ川原』& 武運を占った『片腹淵』(吉野町)

国栖(くず)の「御霊神社」を見学したあと、ふと道路側へ目をやると…

とても気になる看板を発見!

ジジ川原
ババ川原
片腹淵

な…なにこれ!!

落ち葉を踏み分けて川原へ…

気になったものは見ておかないと気が済まないので、とりあえず矢印の方向へと進んでみることにしました。

川原に出ましたが、肝心の『ジジ川原・ババ川原・片腹淵』がどこにあるのか?
周囲を見渡してみても特に案内板などはありません。

「何か手がかりはないか?」としばらくウロウロしてみましたが、結局何も見つからず。帰ってから詳しく調べようと思い、周辺の写真を数枚撮って引き返すことにしました。

目次

大友皇子の軍勢から大海人皇子をかくまった『ジジ川原・ババ川原』

自宅へ帰って調べてみたところ、「国栖の里へのアクセス」というページ内で「まちづくりマップ 上古の里 国栖」という地図を発見しました。

マップ内から一部分を切り抜きさせていただきました

地図によると(8)付近が『ジジ川原・ババ川原』(12)付近が『片腹淵』のようです。

ジジ川原付近?
ババ川原付近?

マップと撮った写真を照らし合わせてみると、上記の写真のあたりが『ジジ川原・ババ川原』でしょうか?
確証はないので…間違っていたらごめんなさい。

『ジジ川原・ババ川原』について、「まちづくりマップ 上古の里 国栖」には以下のような説明文が書かれていました。

ジジ川原、ババ川原

高見川と吉野川が合流するあたりにあります。白鳳2年(672年)「壬申の乱」の時に、大友皇子の軍勢に追われた大海人皇子を国栖の翁が舟を返して中にかくまいお助けした場所といわれています。

引用元:まちづくりマップ 上古の里 国栖

国栖の翁が、敵から追われていた大海人皇子を船に隠してかくまった場所がこの辺りというわけですね。

大海人皇子が武運を占った『片腹淵』

つづいては『片腹淵』ですが、『ジジ川原・ババ川原』から少しだけ離れた場所にあったようで、今回ちゃんと写真を撮ることができませんでした。

さらに左側へ進んだ場所が片腹淵?

先ほどのマップには以下のように説明されていました。

片腹渕
「壬申の乱」の時に、国栖の里人は吉野に居られた大海人皇子に山と川でとれた産物を献上していました。皇子はその中の腹赤魚(ウグイ)の半身を召し上がられ残り半身を川に放して『この魚が生きて泳ぐならば、私には良いことがある』と、ご自身の武運を占われたところ魚は、勢いよく泳ぎ大変お喜びになられた。大海人皇子は戦乱で勝利を収められ、天武天皇となられました。その占った場所を片腹渕と呼んでいます。

引用元:まちづくりマップ 上古の里 国栖

半身を食べた魚が泳ぐなんて、なんとも不思議で興味深いお話です。

あり得ないことが起こる=戦争で勝利する

容易に勝てる戦いであったならば、このような占いが行われることもなかったのではないか?と考えると、「壬申の乱」はそれだけ勝ち負けのわからない厳しい戦いだったということでしょうか?

そういえば、神武天皇も「酒を入れた瓶を丹生川に沈め、魚が浮いてくれば大和国を治めることができる」と、魚をもちいた占いをしておられましたね。
(ちなみに、この時に浮いてきた魚がアユだったので、魚へんに占うで「鮎」という漢字になったという説もあります。)


魚に限らず鹿の骨亀の甲羅を使った占いなど、古代の人々は様々なモノを用いて占いを行なっていますね。

骨や甲羅の割れ方で吉凶を占うなんて、なんだか不思議!
…などと考えていましたが。
コーヒー占いとか、文鳥占いとか、ホクロ占いとか。現代でも変わった占いはたくさんあるから…。結局、人間は今も昔もあまり変わらないのかもしれませんね。(変なオチですみません)

「ジジ川原・ババ川原・片腹淵」付近の情報

所在地:奈良県吉野郡吉野町

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