「アスカ」という言葉を聞くと「飛鳥」と「明日香」、この二つの漢字が頭に思い浮かびます。
「飛鳥時代」や「飛鳥駅」と表記する一方で、村名は「明日香村」と表記します。
この漢字表記の違いはどうして生まれたのでしょうか?
ネットや書籍から情報を調べてみましたのでまとめておこうと思います。
そもそも「アスカ」って?
漢字の違いについて説明する前に、まずはそもそも「アスカ」という名前の由来は何なのか?ということについて書いていこうと思います。
(調べてみると由来には諸説あるようで、定説はないようです。)
地形説1:土地柄が飛鳥川の洲であったところから「ア(接頭語)」と「スカ(洲処)」が組み合わさったとされる説。
地形説2:「アス(浅す)」と「カ(処)」が組み合わさったとされる説。
地形説3:「アス(崩地)」と「カ(処)」が組み合わさったとされる説。
外来説1:「ア(接頭語)」と「スカ(古代朝鮮語で村を意味する)」が組み合わさったとされる説。
外来説2:安住の地を意味する朝鮮語「安宿(アンスク)」が訛ったとされる説。
外来説2:インドのアショカ王の名前から転化したとされる説。(インドでは「アスカ」とは「理想の楽園」という意味だったともいわれている。)
聖地説:「スガ」は「スガスガしい」場所に通じるので、「スガ」に美称の「ア」が組み合わさったとされる説。
鳥説:イスカという鳥の名前から転じたとする説。
「アスカ」には様々な漢字が充てられていた
古事記・日本書紀・万葉集の中では「アスカ」の表記について、明日香、飛鳥、安宿、阿須賀、阿須可、安須可などなど…様々な漢字が充てられていたようです。
中でも地名や川の名前については「明日香」と「飛鳥」が多く用いられているのだとか。
「明日香」については、漢字として縁起がいい(天照大御神様を象徴する日が入っている!?)という理由で多く使われるようになったのではないか?という説もあるようです。
また、古事記と日本書紀では「飛鳥」の表記が多く、万葉集では「明日香」が多いものの、枕詞として「飛鳥(枕詞の場合は「トブトリ」と読む)」も登場しています。
明日香の枕詞が「トブトリ」になった理由は?
調べてみると、これにも諸説あるようです。
説1:空を飛ぶ小鳥の姿が微か(カスカ)に見えたので、アスカに「飛ぶ鳥の」という説明の言葉をかぶせたという説。
説2:渡来系の人々が渡り鳥(飛ぶ鳥)のようにあちこちを転々としてきたが、ようやく安住(安宿/アスカ)の地を見つけたので、そこから明日香に「飛ぶ鳥」の枕詞をかぶせたという説。
「飛鳥」と書いて「アスカ」と読むのは何故?
理由はさておき、「飛鳥の明日香…」「飛鳥の明日香…」と何度も歌われているうちに、いつしか「飛鳥」も「アスカ」と読まれるようになったようです。
枕詞として「飛ぶ鳥」を使ったものとして、有名な万葉集の歌を一つ載せておきます。
和銅6(713)年「好字二字令」発布
先に書いたように、「アスカ」には様々な漢字があてられていましたが、和銅6(713)年に出された「好字二字令」によって、地名・年号を二文字の漢字に改めなければならなくなりました。
この法律によって、枕詞として使われていた「飛ぶ鳥」を「飛鳥」として地名に充てるようになったとも考えられています。
3つの村の合併によって「明日香村」が誕生!
現在の「明日香村」は昭和31年(1956)、旧高市村、旧飛鳥村、旧阪合村が合併して誕生しました。
3村が合併する際、「飛鳥村」という名称にすると不平等だという理由から、漢字の表記を改め「明日香村」になったということです。
(現在も大字として「飛鳥」という地名は残っています。)
この際、3村が円満に合併できるように「明日香村」を提案したのが万葉学者の|犬養孝《いぬかいたかし》氏だったといわれています。
まとめ
「アスカ」という言葉に充てられた漢字がいくつかあった中、良い字だとして定着していったとされているのが「明日香」。
その後、「明日香」の枕詞として使われるようになり、読みも「アスカ」となったのが「飛鳥」。
奈良時代に出された「好字二字令」により、「飛鳥」という地名表記が一般的となっていくが、昭和時代の3村合併により、村名に「明日香村」という表記が採用される。
そのため、現在は「飛鳥」と「明日香」の2つの漢字が使用されている。
時代、駅名、地方名を表記する時は「飛鳥時代」「飛鳥駅」「飛鳥地方」。
村名を表記する時は「明日香村」と表記する。
若干私の解釈も入っていますので、間違いなどありましたらご指摘いただけると嬉しいです。
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