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珍しい猫入り涅槃図も!重要文化財『正蓮寺大日堂』(橿原市)

「入鹿神社」を訪れた際、同じ敷地内にあった重要文化財『正蓮寺大日堂』も見学させていただきました。

重要文化財となっているお堂が素晴らしいのはもちろんなのですが、無料で配布されていたチラシによると、こちらには全国的にも珍しい「猫入り涅槃図」が伝わっているとのこと!普段は見ることができないようですが、期間限定で公開もされているようです。(後述)
猫好きの私としてはテンションが上がります♪

目次

歴史・伝説

正蓮寺大日堂は廃寺真言宗高野山派仏起山普賢寺の本堂で、普賢寺の創建年代については全く明らかにすることはできないが、その建立年代は棟札により文明10年(1478)の再建であることが分かっている。
昭和30年~31年度の大修理時に、大日堂地下の地層状態、鎮壇具の有無等を調べるため、仏壇地下の発掘調査が行われた結果、現大日堂よりも奥行のやや深い前身堂の遺跡が発見され、その創建は鎌倉時代を降らぬものと思われる
前身の大日堂の旧地表には一面に焼土が見られ、前身の大日堂が焼失していることが明らかになった。罹災の事情は分からないが、鎌倉時代末から室町時代にかけて、高市郡(小綱町は橿原市になる前は高市郡に属した)は越智一族の勢力下にあり、永享頃(1429~1441)高市郡一帯に幕府軍と越智氏の多年にわたる激しい争闘があったらしいので、兵火によることも考えられる。

現在の大日堂は昭和の大修理時に発見された墨書銘によれば、康正2年(1456)既に再建が始められている。併し一応の完成を見たのは、棟札に示すように文明10年(1478)で、方30尺足らずの小規模な建物でありながらその完成に実に30年の歳月を費やしたのは応仁の乱等の当時の不安な社会を如実に反映したものと思われる。

その後、江戸時代初頭に、柱の抜替等に及ぶ相当の大修理が行われているのを始めとして、江戸時代を通じ数度の修理改造が加えられていた。

江戸時代末期になると、普賢寺は今井を中心として南大和に勢力を張っていた浄土真宗に圧倒され、僅かに留守居僧を置いて細々と法燈を伝えていたが、明治の廃仏毀釈により普賢寺が廃絶することとなり、明治7年には無住となり、仏体は隣接する真宗興正派正蓮寺に合祀し、大日堂は一応売却の形をとった。(明治7年無住無檀廃寺願により金13円50銭で地元住民が落札した。因みにあの有名な興福寺の五重塔は廃仏毀釈の法難に遭い、25円 で売りに出され、薪にされようとしていたが、最終五重塔は250円で買い手がついたという。大正8年正蓮寺より「明細帳記載漏」の故を以て脱漏編入願が提出され、当時の木田川奈良県知事の許可を得て大日堂も又正蓮寺の管理に帰した。

文明10年(1478)の再建になり、その形態もよく整い、室町中期の年代の明かな堂宇として、昭和18年6月9日国の重要文化財に指定されたが、永年の荒廃に軸部はゆるみ、屋根の雨漏りも生じて、憂慮すべき状態となったため、昭和30年~31年度約1年半の歳月と、国庫並びに県その他の補助を受けて(当時のお金で修理工事費約798万円。現在の時価で約1億8800万円で解体修理が行われ建立当時の姿に復元された。

引用元:<公式>正蓮寺大日堂

『正蓮寺大日堂』は廃寺となった「普賢寺(真言宗高野山派仏起山)」の本堂だということですが、普賢寺の創建年代については全く明らかにされていないいとのこと。
ただ、棟札により建立年代は文明10年(1478)の再建であることが分かっているので、普賢寺はそれより前の時代に創建されたということですね。

明治の廃仏毀釈により普賢寺は廃絶し、明治7年には無住となりました。その後、大日堂を金13円50銭で地元住民が落札。
大正8年には大日堂は正蓮寺の管理となり、昭和18年6月9日に室町中期の年代の明かな堂宇として、国の重要文化財に指定されました。
昭和30年~31年度約1年半の歳月と、国庫並びに県その他の補助を受けて(現在の時価で約1億8800万円で)解体修理が行われ建立当時の姿に復元されています。

境内・周辺の様子

正蓮寺大日堂

昭和18年6月9日に室町中期の年代の明かな堂宇として、国の重要文化財に指定された『正蓮寺大日堂』は、棟札により建立年代は文明10年(1478)の再建であることが分かっています。

立派なお堂ですね!

不要な飾りを一切しりぞけて必要最小限をみたし、実用的に作られたお堂であるとのこと。

堂は三間四方で寄棟造本瓦葺。一辺28尺余の小規模なものであるが、前面一間を礼堂とし、後方二間の内陣後方より四本の柱に間込まれた厨子を設けて本尊をまつっている。

正背面中央間は12尺、両脇間8尺として、中心性を与え、厨子の正面幅をこれに合わせている。
側面は前方より10尺、8尺の間につくって、前面の礼堂を広くとるようにしている。内部床張りで、周囲に縁をめぐらし、正面に向かって右端の隅柱から側方へ脇障子を出して縁側を仕切っている。円柱上に舟肘木をのせ、一軒の軒を出した簡素な構造であるが、正面3間に浅唐古石を入れ、側面両端、背面中央間には扉構えを作りながら、片引戸を入れている。これは工事途中の変更とみられる。内部は全面に棹縁天井を張り、礼堂と内陣境には格子戸を設け、中央間には吹き寄せ菱格子の欄間を入れる。
厨子は前面下方に仏壇風にあしらい、浅唐古両開きを入れ3方を板壁とする。
ただし、この扉溝は全部新しく、元禄五年の補加と見られ、元は開放であったと思われる。
こうした極めて簡素な堂であるが、不要な飾りを一切しりぞけて必要最小限をみたし、間取りなども実用的にずばりと作られている。  

引用元:<公式>正蓮寺大日堂

堂内に収蔵されている文化財については、後述します。

正蓮寺大日堂前の石仏(薬師如来像)

お堂の前には石仏がありました。
石仏というだけでお地蔵さんかな?と思ってしまいそうですが、正しくは「薬師如来」とのこと。
かつて大日堂を本堂としていた普賢寺(現在は廃寺)は室生山八十八ケ所霊場第六十七番札所となっていたそうで、大日堂前の石仏はその名残なのだそうです。

正蓮寺大日堂前の石仏「薬師如来」は、室生山八十八ヶ所霊場の第六十七番札所の名残で、本四国の八十八ヵ所霊場の第六十七番札所讃岐国(香川県)大興寺を模している。

大興寺のご本尊は薬師如来を安置しているので正蓮寺大日堂前の石仏は「薬師如来」である。
室生山八十八ヶ所霊場は奈良県宇陀市の「室生寺」からスタートし、一部名張市に入り、奈良県の寺社を回り「室生寺」に帰る巡礼コースであった。

引用元:<公式>重要文化財大日如来坐像

金毘羅大權現

大日堂の東側には「金毘羅大權現」がお祀りされています。

金毘羅権現(こんぴらごんげん)は、香川県琴平町の象頭山に天竺から飛翔し鎮座した山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神であり、本地仏は不動明王、千手観音、十一面観音など諸説ある。明治初年の神仏分離・廃仏毀釈が行われた以降は、大物主とされた。その神仏分離以前は讃岐国象頭山松尾寺金光院(現在の香川県琴平町の金刀比羅宮)が別当として奉斎し、讃岐の金毘羅大権現を総本宮とし日本全国の金毘羅宮および金毘羅権現社に勧請され祀られていた。

引用元:金毘羅権現-wikipedia

寺宝・文化財

外から堂内を覗き込むと、中に仏像が収蔵されているのが見えました。

仏像や堂内の撮影OK、SNS等への掲載もOKとの張り紙がありましたので、遠慮なくお写真を撮らせていただきました。
小綱町文化財保存会さん太っ腹!!

大日如来坐像(重文)

お堂の中央に見えるのが、本尊の「大日如来坐像(重要文化財)」です。
金箔の剥離が激しかったため、剥離を抑えること目的に2020年5月から10ケ月かけて(大正時代から100年余ぶりに)修復されたとのこと。

金の輝きが美しいですね

大日堂の本尊である。
頭上に宝冠を戴く。智拳印(ちけんいん)を結び、右足を結跏趺坐(けっかふざ)する。
顔は豊かな肉付きをみせ、目はつよい俯瞰の相を持っていて、したがって相当細めに刻出されている。全身の肉付きもまた豊かで、裾の衣文は藤原式の薄手で優美である
半丈六の仏像であるにもかかわらず、技巧的にまとめられているのが特徴で、院派(京都を中心に朝廷や貴族の造仏を担当していた仏師の一派)系の仏師によるものではないかと考えられる。
鎌倉時代前期における橿原市と京都の繋がりを示唆するものとして注目される作品である。
鎌倉時代の作とされ、大正8年4月12日国の重要文化財に指定される。
現在像は、修理を経ていて、ところどころ金箔の剥落があるほか損傷はない。ただし宝冠、光背、台座はすべて徳川中頃とおもわれる後補である。
檜材寄木造・総漆箔、 像高148.3cm、面長26.8cm、面巾26.0cm、耳張34.2cm、面奥33.5cm、肘張80.0cm、胸厚32.2cm、腹厚39.5cm、膝高(左)21.8(右)21.3cm、膝張108.8cm、膝奥71.5cm。

引用元:<公式>重要文化財大日如来坐像

大日堂のご本尊である大日如来の命日が7月15日であることから、毎年7月15日には夏の大祭が開催されるそうです。

二天王像(持国天・多聞天)

写真にうまく収められなかったのですが、本尊の「大日如来坐像」の両隣りには、四天王のうち持国天多聞天が安置されています。
平安後期の作とのこと。

持国天・像高172.6cm、多聞天・像高171.6cm。
等身大の像で、樟を用いて左右二材矧ぎとし、構造技法は大日如来座像とは異なる。
恐らく須弥壇が狭く四方に4体の仏像を置くスペースがなかったので2体のみになったと思われる。
又、中央の重要文化財大日如来座像に比べて脇を守る二天像が像高が大きいのは、恐らく後に2体がどこかの寺院から持ってこられたものと言われている。
令和元年12月4日奈良県文化財保存課で二天王の調査が行われ、関西大学と帝京大学の共同チームで精密な学術調査が行われた結果、重要文化財「大日如来坐像」よりも古い12世紀後半から末頃(平安時代)の作ではないかとのことで、奈良地方での天部像を考察する上で、貴重な作品と考えられており、文化財への指定が待たれるところである。

引用元:<公式>重要文化財大日如来坐像

弘法大師像

角度がついている写真でわかりづらいかと思いますが、お堂の右奥には「弘法大師像」の姿も見えました。
いつ頃の作か分からない像とのことですが、遠目から見る限り比較的綺麗に色彩が残っている印象でした。

正蓮寺大日堂内には廃寺普賢寺の宗派真言宗高野山派の開祖である弘法大師像が安置されている。いつ頃の作かは定かではない。弘法大師の御命日4月21日(旧暦3月21日)には弘法大師像の前で地元住民が伝統行事として「大師講」が古くより地元の女性によって運営されており、お年寄りたちが、お大師さんと一緒に飲み食いをしながらおしゃべりをする、そんな楽しい集まりをする。今は少なくなった「大師講」が連綿と続いている。
毎年4月21日に定例開催。 

引用元:<公式>重要文化財大日如来坐像

子安地蔵像

写真を撮ることができなかったのですが、他にも堂内には等身大の「子安地蔵像」も安置されているそうです。
こちらも、先ほど紹介した「二天王像(持国天・多聞天)」と同じく平安後期の作とのこと。

正蓮寺大日堂内には子安地蔵像が安置されている。いつ頃の作であるかは定かではないが等身大の均整の取れた地蔵菩薩像である。
地元の伝統行事として、地蔵を祭る「地蔵盆」を地元の女性によって運営されている。今は少なくなった「地蔵講」が連綿と続いている。
地蔵菩薩は、大地が全ての命を育む力を蔵するように、苦悩の人々をその無限の大慈悲の心で包み込み、救う所から名付けられたとされ、一般的には「子供の守り神」として信じられています。
毎年7月23日に定例開催

引用元:<公式>重要文化財大日如来坐像

猫入り涅槃図

お釈尊様の入滅を描く「涅槃図」には、猫が描かれることはほとんどありません。
理由は、「お釈迦様の死に間に合わなかったから」「お釈迦様の薬を取りに行ったネズミの邪魔をしたから」「仏教に対する信仰心がなかったから」「お釈迦様が亡くなった時、まだインドに猫はいなかった」等々諸説があるそうです。

全国でも猫が描かれている「猫入り涅槃図」は現在10数例しか確認されていないとのこと。
(奈良県ではおそらくここだけではないでしょうか?)

引用元:正蓮寺大日堂HP

全国で10数例しかない珍しい「猫入り涅槃図」

昔から涅槃図に 猫 が描かれることはなかった。
“ 釈迦の使いである鼠を猫が食べたから ”とか、“猫は鼠にだまされて釈迦の涅槃 ( 死 ) に間に合わなかった“とか、“ゆえに猫は干支にもいない“ とか、“木に引っかかった薬袋をお釈迦様のためにネズミが取りにいこうとしたら、猫が邪魔をしたため、お釈迦様が薬を飲めずに亡くなられた ”など諸説が伝えられている。
しかし、絵師が自分の飼い猫をそっと入れたり、依頼主が猫を入れてくれとお願いしたなどの理由によって、猫が描かれている涅槃図もあり、日本では十数例ほどしか確認されていないと言われている。ここ大日堂の涅槃図には左下に猫が描かれており、日本では大変珍しいものである。

この涅槃図は延享3年(1746)2月15日、今から約275年前に大和国十市郡豊田村(現在の橿原市豊田町)の吉村氏が普賢寺(現正蓮寺大日堂)に寄進したと軸箱に記録されいる。又、小綱町では古老より「小綱町には猫が描かれた涅槃図がある」と言い伝えられて大事に保管されてきた。正蓮寺大日堂資料室でご拝観下さい。

数少ない「猫入り涅槃図」は “ 絵師が自分の飼い猫をそっと入れたり、依頼主が猫を入れてくれとお願いした ” などの理由によって存在しているようで、猫好きの私は思わず「わかる!(猫入れたくなっちゃうよね!)」と説明文を読んで納得しました。笑

「正蓮寺大日堂」の「猫入り涅槃図」は、軸箱の記録から、延享3年(1746)2月15日、今から約275年前に大和国十市郡豊田村(現在の橿原市豊田町)の吉村氏が普賢寺(現正蓮寺大日堂)に寄進したことが分かっているそうです。

猫好きさんだったのかな??


普段は大日堂内にレプリカで展示されているそうですが、毎年秋の彼岸の前後特別展示も行ってくださっています。
当日は事前予約無しに大日如来坐像も拝観できるそうですよ!
ちなみに、今年は9月23日(祝)・24日(土)・25日(日)午後1時~6時まで公開されています!

私もタイミングが合えば見に行ってみたいなぁと思っております。

その他の収蔵物

その他にも、正蓮寺大日堂内には廃寺真言宗高野山派普賢寺に安置されていた仏像掛け軸等の寺宝が沢山伝わっているそうで、地蔵菩薩像・閻魔天像・弁天像・誕生仏・普賢寺元住職位牌・元檀家の位牌・昭和30年の御堂大修理時に地下から発掘された土器瓦類等々も陳列されているとのことです。

伝統行事

4月21日お大師さん
7月15日大日さん
7月23日地蔵さん
9月1日〜30日鈴虫の鳴く夕べ
毎年秋の彼岸の前後猫入り涅槃図特別公開

「正蓮寺大日堂」の情報

所在地:奈良県橿原市小綱町335(アクセス情報

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