吉野の国栖(くず)には「犬を飼わない」集落があるらしい。
そんなお話を地元の人や、私の父から何度聞いたことがありました。
父曰く「今は国栖にも犬飼ってる人いるけどな!」とのことですが…。(真相のほどは分かりません)
実際に、国栖に住んでいる私の知り合いにも尋ねてみたところ「確かに昔は犬を飼ってはいけないしきたりのようなものがあったらしいです。」とのことでした。
国栖の一部の集落の人はどうして犬を飼わなくなったのか?
その由来にまつわる場所へ行ってきました。
吉野川を見下ろす小高い丘にある『犬塚』
国栖小学校の跡地に開設された「くにすの杜(もり)」さんの施設内に『犬塚』があります。
私はGoogleマップのナビを使って『犬塚』へと向かったのですが、googleのナビだと近くにある「福西和紙本舗」さんの方へ案内されてしまいましたので、初めて行かれる方はどうかご注意ください!
こちらへ間違って案内されると、恐ろしく細く急な坂道を進むことになります。もちろん『犬塚』にも辿り着きません。
(結論。『犬塚』ではなく「くにすの杜(もり)」さんをナビに設定して行くことをオススメいたします!)
道を間違って少々苦労しましたが、なんとか『犬塚』に辿り着きました!
『犬塚』の脇にあった案内板には以下のように書かれていました。
犬塚
壬申の乱(672)の時、大海人皇子と大友皇子が皇位継承争いを繰り広げているなか、大海人皇子はこの国栖に逃れてきた。その時、敵の追っ手が連れてきた鷹と犬(ミルメ・カグハナ)から大海人皇子を隠すために国栖の翁という者が河原で船を逆さにし、その中に皇子をかくまった。しかし、犬のカグハナにかぎつかれそうになった。
翁はとっさに犬を石でたたき、死なせてしまった。この為皇子は事なきを得た。
その後、死んだ犬は大海人皇子の愛犬と判り御霊神社の裏山に葬られた。それ以来その地を犬塚と呼んでいる。また、その時翁が犬をたたいた石は、現在も御霊神社に奉納されている。
壬申の乱の際、大海人皇子を追ってきた犬(カグハナ)を国栖の翁が石で叩き殺したということですが…。
まさかそれが大海人皇子の愛犬だったなんて、なんだか悲しいお話ですね。
果たしてカグハナは大海人皇子を敵として追っていたのでしょうか?
もしかしたらご主人様に会いたかったのかな?なんて想像するとさらに悲しくなってしまいます。
ちなみに、吉野町志賀にある金福寺には、犬塚のことを記した「鷹塚山大海院金福寺縁起」があり、その中には「…国栖ノ翁出向、舟中に棹サシテ渡し賜フ。カカル所へ大友方、後追ヒ責来ドモ○無シ。 翁を頼メドモサラニウケガハズ、○ル時、犬ハ河ヲ凌ヒデ彼ノ岸ニツキケレバ、国栖ノ翁殺害シケルト、今国栖ニ是ノ犬埋所有リテ犬塚ト云ヒアリケルナリ…」と書かれているのだそうです。
ここでは大友皇子の犬が大海人皇子を追ったとされているとのこと。
それにしても、皇子を追ってきた鷹と犬の名前が「ミルメ」と「カグハナ」とは!!
見る目…
嗅ぐ鼻…
そのまんまやないか〜い!!(ちょっとクスッとしてしまいました)
こうした経緯から、この犬塚のある集落(窪垣内)では「祟りがある」として誰も犬を飼わなくなったという伝説が残っているのだそうです。
ちなみに、能の中にこの伝説と似た場面も描かれている『国栖』という演目がありますが、調べてみたところ、こちらには犬は登場しないようですね。
あらすじ
引用元:能・演目事典:国栖:あらすじ・みどころ
…そこに敵の追っ手がやってきました。老爺は機転を利かせて、裏返しの川舟の後ろに帝を隠します。追っ手があれこれ尋ねるのを、老爺はとぼけてやり過ごしますが、追っ手が舟を怪しみ、検分させよと迫ります。老爺は拒絶し、怒って近隣の一族を大声で呼びます。その気迫に恐れをなした追っ手一行は、逃げ出していきました。窮地を救われた帝は、夫婦にねぎらいの言葉をかけ、夫婦は感激して涙を流します。…
犬を石で叩いて殺すというシーンが少々過激だからでしょうか?
犬をたたいた石を祀っているという御霊神社については、以下の記事をご参照ください。
(最後に蛇足かもですが、お笑い芸人のゆりやんレトリィバァさんは国栖がご出身ですよ〜!この記事の冒頭に登場した国栖の知人は、お姉さんがゆりやんさんと同級生でサインをもらったそうです…。うらやましい!!)
「犬塚」の情報
所在地:奈良県吉野郡吉野町窪垣内(アクセス情報)
電話番号:0746-32-3081(吉野町役場 産業観光課)
駐車場 :あり
参考ページ:犬塚(いぬづか) | 吉野町公式ホームページ
コメント