> MAPから記事を探す <

疱瘡治癒の神様と天武天皇を祀る『桜木神社』と『象の小川』(吉野町)

吉野町宮滝周辺を観光したあと、「夢のわだ」から象(きさ)の小川沿いの道を南へ500メートルほど進んだ場所にある『桜木(さくらぎ)神社』へ行ってきました。
道が細くて車での対向が難しい箇所も一部ありますが、神社の近くにトイレ付きの駐車場もありますので、車でも参拝しやすい神社ですよ!

写っていませんが、トイレ脇に駐車場スペースもしっかりあります!
目次

歴史・伝説

山間のとても静かな場所にある『桜木神社』には、医薬の神である大穴牟知命少彦名命、そして天武天皇がお祀りされています。
詳しい歴史については神社の近くに案内板がありましたので、まずは内容を転載させていただきます。

桜木神社(さくらぎじんじゃ)

桜木神社は大穴牟知命(おおなむちのみこと)・少彦名命(すくなひこなのみこと)・天武天皇を祀る神社です。創建は大化(645〜650)年中、今の本殿は元禄15(1702)年建立とされます。
神社創建の由来は疱瘡治癒(ほうそうちゆ)の神様が象に乗って天から降りてきたことだと伝わります。江戸時代には疱瘡の神として、紀州徳川家や高取城主をはじめ広く信仰を集めました。
この神社には大海人皇子の伝説が残ります。壬申の乱の時、吉野宮にいた大海人皇子が大友皇子に襲われそうになりました。大海人皇子は、この辺りの桜の影に身を潜め、難を逃れたと伝わります。
また、社前の「象(きさ)の小川」には大伴旅人(おおとものたびと)の歌が『万葉集』に残り、神社では江戸時代の歌人が歌を詠むなど、永く歌人に愛された場所でもありました。

引用元:『桜木神社』案内看板

疱瘡(天然痘)治癒の神様「大穴牟知命「少彦名命」

“疱瘡治癒の神様が象に乗って天から降りてきた” というのはなかなか興味深い内容ですね!

ちなみに、疱瘡とは「天然痘」のことで “強い伝播力と高い死亡率、また、命を取り留めても顔や体に跡が残ることから、古くから恐れられてきた病” のことです。
奈良時代に藤原四子が天然痘にかかり、命を落としたのは有名なお話です。

天然痘治癒の神として象に乗って天から降りてきたのが大穴牟知命少彦名命だったということですが、それにしても、なぜだったのでしょうか!?ネット検索しても分からなかったので気になります…

江戸時代には、紀州徳川家や高取城主をはじめ広く信仰を集めた

江戸時代には疱瘡の神として、紀州徳川家や高取城主をはじめ広く信仰を集めましたとのこと。
歴代の徳川将軍家は毎年武運長久祈願を命じており、その都度お守り、お礼を献上したことが明治維新まで続いていたそうです。
また、初代紀伊藩主大納言徳川頼宣は、3回も難病平癒を祈願し、その都度多くの金品を寄進していたと記録に残っています。(紀伊藩主が寛永11年に奉納した御湯釜は、昭和25年のジェーン台風でおしくも破損してしまったそうです。)

より詳しい内容は「神社検索(奈良)|櫻木神社」に載っておりますので、ご興味のある方はご覧ください。

桜木神社にゆかりのある「天武天皇」

他に天武天皇も祀られているということですが、これは大海人皇子時代の天武天皇が吉野に逃れてきた際に、『桜木神社』付近の桜の影に身を潜めたことが関係しているのですね〜!
『桜木神社』の名前の由来もここから来ているのでしょうか?

『桜木神社』に限らず、大海人皇子の伝説は吉野の各地に伝えられています。「大海人皇子」と「吉野」はやはり切っても切れない関係ですね。

万葉人や江戸時代の歌人にも愛された

神社の脇を流れる『象の小川』を題材に大伴旅人は2首の歌を残しています。

右に見える川が「象の小川」です

大伴旅人が『象の小川』を詠んだ歌2首

まず最初の歌は大伴旅人(おおとものたびと)元正天皇の吉野行幸に随行した際に、天皇の命を受けて詠んだ「万葉集 巻3-315」の長歌に付けられた反歌です。

昔見し 象(きさ)の小河(をがわ)を 今見れば いよよ清(さや)けく なりにけるかも
大伴旅人(万葉集 巻3-315)

現代語訳:昔見た象の小川をいま見ればますます清くなっているなあ。

つづいて、大伴旅人大宰府にて詠んだ5首のうちのひとつです。

わが命(いのち)も 常(つね)にもあらぬか 昔見し 象(さき)の小川(おがわ)を 行きて見むため
大伴旅人(万葉集 巻3-332)

現代語訳:私の命も変わらずにあってほしいものだなあ。昔見た象の小川にまた行って見るために。

山部赤人の歌

境内には山部赤人(やまのべのあかひと)が詠んだ歌の万葉歌碑もあります。(参考画像リンク
この歌は、山部赤人が天皇の吉野行幸時に詠んだ歌で、「万葉集 巻6-923」の長歌に付けられた反歌のうちのひとつです。

み吉野の 象山(きさやま)の際(ま)の 木末(こぬれ)には ここだもさわく 鳥の声かも
山部赤人(万葉集 巻6-924)

現代語訳:み吉野の象山のあたりの小梢には、多くのさえずり合う鳥の声が聞こえるよ。
※「象山(きさやま)」は吉野川対岸の山のこと。


また、神社の境内では江戸時代の歌人たちも歌を詠んでいたとのこと!歌会のようなものが行われていたのでしょうかね?

境内・周辺の様子

こぬれ橋

象の小川に架かる屋根付きの「こぬれ橋」が印象的で、橋が参道の役割も果たしています。
ちなみに、ここから500メートルほど北への場所には「うたたね橋跡」があるのですが、昭和56年ごろまで「こぬれ橋」と同じような屋根付きの橋が架かっていたそうです。

象の小川

橋の下を流れている『象の小川』は万葉歌にも詠まれた歴史のある川で、眺めていると万葉の時代に想いを馳せることができます。

鳥居・ご神木

「こぬれ橋」を渡ると正面に朱塗りの鳥居、右手に手水舎が見えてきます。

鳥居にかかっている「櫻木宮」と書かれた木彫扁額は高松藩が献納したものだということです。


拝殿の左手前には樹齢700〜800年という御神木の立派ながそびえ立っています。

高さ35〜40m直径17〜20m回り65〜7mという巨木です。

拝殿・本殿・末社

拝殿は、昭和26年に新改築されたものだそうです。

拝殿

本殿は、向千鳥向拝極彩色流造り檜皮葺元禄15(1702)年建立とされます。
極彩色が目にも鮮やかですね!

本殿

本殿に向かって右隣りには境内末社である、稲荷神社(祭神大宇迦能売神)大山祇神社(祭神大山祇神)が並びます。
稲荷神社は弘化4年に伏見稲荷より勧請。大山祇神社は昭和7年に小字茶屋ノ本より遷座されたとのことです。

末社

石碑「虎に翼を着けて放てり」

今年(2022年)は「寅年」ということで、桜木神社のすぐ近く(道沿い)にある石碑にも注目です!

「虎に翼を着けて放てり」
と書かれた石碑は、万葉学者の上野誠先生によるものです。
横に設置されていた石板には以下のように書かれていました。

病に伏した天智天皇に、即位を勧められた大海人皇子(天武天皇)は、これを固辞。出家して吉野に入る。ここ吉野から古代最大の大乱、壬申の乱は始まる。大海人皇子、吉野入りにちなむ由来のある、桜木神社の社頭に本碑は建てられることとなった。
「日本書紀」は、この風雲急を告げる大海人皇子の吉野入りを、かくのごとくに評している。時に、天智天皇十年(六七一)十月十一日のことである。


奈良大学文学部教授 上野 誠


ちなみに、上野先生は現在、國學院大學文学部日本文学科特別専任教授・奈良大学名誉教授という肩書きになっておられます。
最後なのでさらに!上野誠の万葉歌ごよみというラジオ番組がめちゃくちゃ面白いので、万葉集に興味のある方はぜひ一度聴いてみてください!!(ポッドキャストでも聴けますよ〜♪)

「桜木神社」の情報

所在地:奈良県吉野郡下北山村上池原282(アクセス情報

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

SHARE
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

CAPTCHA

目次